2011年 05月 07日
太宰治賞を受賞した『あたらしい娘』を改題し『こちらあみ子』となったので、このあたらしい娘があみ子なのだろう。 あみ子はあたらしいのだろうか?突出して個性的なのか、あるいは病気なのか?読み進めるうちこの物語をどう捉えていいか悩んだ。 文章の書かれ方も狙っているのか、シリアスな感じはなく むしろ使われる広島弁のせいでのんびり、朴訥とした印象を受ける。純粋な愛らしい娘の話かと思いきや「あみ子は普通の子ではない」とわかった時点で、あみ子の周りの人間同様、読んでるこちら側もあみ子に対して少しずつ疲弊してゆく。 あみ子は何があろうと起ころうと変化せず、所々が角度によってキラっと光る磨かれていない原石のようだ。その光を知りつつ、彼女にかかわる人間は疲れ、関係は崩壊し、世界はあみ子以外にだんだんと歳をとり変化をしてゆく。 健康な心を持っていた頃のあみ子の父が、母が、兄があみ子にした行動やかけた言葉は、とてつもなく愛に満ちた優しいもので、それが過去の話だとわかると、それらはかけがえのない一瞬だったことを知り、その分深く悲しく響いてくる。 後妻である母が初めて兄妹に紹介された時、あみ子は母のあごにある大きなほくろにこだわってしまう。その後、兄が自分の頭にあるハゲを見せながら、あみ子にこう説く。 「あみ子から見て、おれはなんじゃ?あにきか、それともはげか」 「あにきじゃ」 「ほうじゃ。じゃあみ子から見てお父さんはなんじゃ。父親か、それともメガネか」 「ちちおやじゃ」 「ほうじゃ」 「それじゃあさっき会ったあのひとはなんじゃ。母親か、それともほくろか」 「おかーさんじゃ」 「ほうじゃ。そういうことじゃ」 まわりとは同じように生きられないあみ子は弱い者なのだろうか? うまく説明できないのだけれど、周りでこれに似たようなことってないだろうか? 無意識のうちに、見ないようにしてしまっている、痛く美しい、もの。 それにしてもこの著者・今村夏子さんこそ『あたらしい娘』ではなかろうか? 併録された『ピクニック』も今まで読んだ何にも似ていないあたらしさ。
by bookswandervogel
| 2011-05-07 23:30
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