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2010年 12月 29日

「きことわ」 新潮9月号

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すごく話題になっているけれど、まだこの人は小説を3作しか書いていない。
『流跡』を読んで、なんだか説明できないものに惹き付けられた。
前の『流跡』の日記の後に、楽しみにしていた他の作家たちの新刊を3冊読んだのだけれど、特筆すべき何かはどれも何も残らず、そのかわり朝吹さんの独特の小説世界や文章の成り立ちは、心地良い悪いを別として どこかずっと頭に引っかかっている。

小さい頃夏を過ごした別荘が取り壊されることになった。
貴子は同じく夏を共に過ごした管理人の娘である永遠子に二十五年ぶりに連絡を取る。
別荘で再会した貴子と永遠子の、それぞれの記憶の食い違いや共通する思い出、もはや少女ではなくなっている彼女たちの現在が交錯しながら話は進む。

ー会わなかった歳月がながいものであるのかそうでないのかよくわからなかった。
 十五歳だった少女が四〇歳になった時の推移にまごつく。ー

貴子は別荘で死んだ母の面影を見る。
永遠子もまた、帰り道に不思議な現象に遭う。
自分の身が引きつれていたらしい記憶は、家が失せるのと同時に消えてゆくのかもしれなかった。
忘れまい、としてどこかで記憶にしばりつけている。
生きているもののほうが死者の足をひっぱっていた。それをすっかり忘れてしまってよいのかもしれなかった。

『流跡』とはずいぶん作風が違うが、やはり小説の雰囲気や言葉の使い方はとても個性的。
『きことわ』のほうが、読みやすく小説世界に難なく入っていけた。
多くの脚光と期待を集めてのデビューだけれど、どこかいびつでも「書きたい」と思うことを恐れず堂々と示した作品をたくさん読んでみたい。
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by bookswandervogel | 2010-12-29 00:06
2010年 12月 17日

「流跡」

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今年のドゥマゴ賞受賞作品。
Bunkamuraドゥマゴ賞というのは選考が他の賞と趣が異なっていて、毎年ひとりの選考委員が選ばれ、その選考委員が一年かけて一つの作品を選ぶ、というもの。
今年の選考委員は堀江敏幸氏だったので特に注目していた。

「『説明のできない魅力をもった作品に賞を与えたい』という個人的な基準に基づけば、『流跡』以外にありませんでした。『流跡』には、未だにわからないところがたくさんある。その不思議さ、わからなさの輝きは、他に類のないものだと思った。」というのが堀江氏の選評コメント。
そう、まさに『わからなさの輝き』を放っているなぁというのがいちばんの感想。

プロローグの「読むひと」からエピローグの「書くひと」までの間に主人公は『ひとやひとでないもの』に変化し続ける。女であったり舟頭であったりサラリーマンであったり または死んでいないしし生きていないもの。時は現世であったりあの世であったり実景でないところ。

すうっと浮かび上がってくるような言葉の群れはイメージの連鎖で、薄ぼんやりしたものもあれば、その言葉の鋭さにはっとするものもある。人の意識にあの世もこの世もない。現在も過去もあなたも私もなく、人は無意識に浮かんでは消えるものをイメージしている。例えば夜に夢を見ている最中の私と、起きて覚醒している時の私と、意識にいったいなんの違いがあるのかと考える。『ーしかしどこへー』とプロローグとエピローグを結ぶ言葉は、頭の中のイメージの行き先をぐるぐると巡っている。

ひとつもはっきりとつかめず、わからないのだけれど、読後は心地よいものではないが不快でもない。著者が書きたかったものというのは確かに受け取ったような気がする。奇を衒ったものでなく、よくよく選び抜かれた言葉で書かれたものだという確かさがある。

著者が気になり、その後書かれた『きことわ』を読んでいる。(「新潮」2010・9月号)
偶然にも地元・葉山が舞台で興味深い。
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by bookswandervogel | 2010-12-17 02:00
2010年 12月 10日

「恋愛小説」

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タイトルからしてどストレート!とにかく恋愛のあれやこれやしか書かれていません。
ある恋の一部始終。いちぶしじゅう。

プロローグからしてこの恋はもう終わっているのだな、とわかる。
けれど別れた二人がそれぞれを思い出す時、胸がぎゅうっと締め付けられるような、そんな想いが確かに残っていることもこのプロローグでわかる。
『もちろん初夏の夕暮れだけじゃなく、春も真夏も秋も冬も。雨の日も晴の日も曇りの日も雪の日も。 もう、なんだってぜんぶ。自分が見てしまったすべて。触れてしまったすべて。聞いてしまったすべて。』
プロローグを読んだだけで気持ちをぐぐーっと持っていかれてしまう。

美緒と健太郎とサスケ。この三人が軸になり その周りの人の恋愛も同時進行していく。
読む側はすべてを俯瞰できる神様的な目線を持ち、物語の始まりの頃のとびきり輝きを放っている三人を眩しく思い、小さな出来事に惑わされ振り回される彼らをばっかだなぁーと、自分の時の事はさておき、そう思う。
物語の中盤から、その長さとくっだらない出来事の数々に辟易してくるが、この時に面倒くさく、時にもうどうでもよい、と感じるこの気持ちこそが恋愛中のアレだな、と気付く。そうか、直中に居るのだな、と。

読み終え本を閉じてふぅーっとため息をつく頃には、長い恋愛をひとつ経験したかのような感覚。
疲れと、過ぎたものだけがきらきらと眩しく光る感覚がしっかり跡に残る。正真正銘の恋愛小説。
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by bookswandervogel | 2010-12-10 00:55
2010年 12月 05日

「ツリーハウス」

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新宿の片隅にある「翡翠飯店」という中華料理屋の三代にわたる家族の物語。
祖父を偶然看取った孫・良嗣は葬儀の後「帰りたいよう」とつぶやいた祖母・ヤエの言葉をきっかけに、祖父と祖母の出会った満州へと、祖母と叔父を連れ立って旅立つ。

『自分がうまれたときからすでにばあさんだった祖母の、だれのばあさんでもかあさんでもなかったころの顔が、前を見据える顔にゆっくりと浮かび上がってくるような、それを間近で見ているような、そんな感覚である』
自分のルーツなど知ろうとしたことがない。両親の若かりし頃や、ましてや祖父母の頃のことなど思い描いたこともないが、ヤエの後ろ姿を良嗣と同じ目線で追ううち、『自分』というものがぽっと出てきたものではなく、脈々と続く祖先からの現在地点なのだなぁと思わずにはいられない。

戦中、引き揚げ、戦後の復興から高度成長、東京オリンピック、学生運動、バブル崩壊、オウム事件...と平成に至るまでの歴史クロニクルを織り交ぜたスケールの大きい物語でありながら、その歴史を見ているのは寂れた翡翠飯店という小さな家の窓からで、人々は時代に流されて生きるしかないが、あくまでも家族の日常の物語が主として描かれている点がすばらしい。すばらしく角田さんらしい。

469ページという大作だけれど、文章が硬質でしかも無駄がない。過去と現在を行き来する構成も成功していて、読みにくさなどが全く無かった。
『何をして生きるかじゃなくて、どう生きるかを模索しているんだよね。』と語る叔父・太一郎は、時代に翻弄されてこぼれ落ちた若者をぎゅうーっと凝縮した人間のようだ。今もたくさんどこかに太一郎は居て、私の中にも太一郎は居る。

問題をぽーんとこちらに投げておいて、最後の最後で希望の光をちらりと見せる。読み手を決して遠ざけず、時代を共に生きる連帯感さえ感じさせてくれる角田さんの誠実さがとても好きだ。
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by bookswandervogel | 2010-12-05 02:09