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2011年 05月 28日

「オリーブ・キタリッジの生活」

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ぜんぜん期待せず読んでみたけれど、たいへん味わい深かった。
というか自分が、こんな感じだろうなー と思っていたものとかなり違っていて、心地よく裏切られた。

クロズビーというある町。オリーブ・キタリッジという一人の人物を中心に話が展開する、というより、町で繰り広げられる様々な出来事から、一人のありふれた人物像を浮かび上がらせている。
数学教師のオリーブはいわゆる「いいひと」では無く、愛想がなく親切でもなく、どちらかというと偏屈な中高年のただのおばさんだ。
彼女は『ウォーリーを探せ!』のウォーリーのように町を横切っては、ある人の話に適当に首を突っ込んでは居なくなったり、ある人の人生ではターニング・ポイントを左右する重要な役割を果たす。

ありふれた田舎町の、地味な人々が穏やかに何の変化なく暮らしているように見えていても、若かった者は老いて、夫婦は別れ、子供は町から離れていく。出てくる人物はほとんどが中高年で、だれもが家族にまつわる何がしかの痛みを抱えている。

オリーブも、息子の結婚式に着たドレスの色が正しかったのかどうかと気に病み、やっと結婚した一人息子は嫁に言いくるめられて町を出て行き、優しかった夫・ヘンリーの本心を思いがけなく知ってしまってどぎまぎし、近所の摂食障害の娘を見ては胸を痛める。
気性が激しく頑固で、人を人と思わないようなオリーブの、もともとあったのだけれど、隠れていた一面や個人的な痛みの部分が、徐々に浮き彫りにされていく。

それぞれの書き出しは常になにげなく、こんなにも短い話がここまで味わい深くなるなんて!と読むたび驚かされてしまった。小説というものの奥深さをまたしても知りました。
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by bookswandervogel | 2011-05-28 00:36
2011年 05月 22日

「移動動物園」

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暑いのががとても苦手である。今年の夏は日本中さらなる節電の予定なので,覚悟しなければならないと思うと、夏ごとワープしたい気分だ。

佐藤泰志の『そこのみにて光輝く』と同じく夏が描かれた『移動動物園』。
『そこのみにて』の8年前、28歳の時の作品であるからか、若さや勢いが多いぶんだけより熱い。読んでいて、暑苦しさと若さゆえの生き苦しさにむせかえるような作品だった。

『暑かった。足元からたちのぼってくる草や土の匂い、それに汗の匂い、夏の空気と一緒に達夫をぴったりと包みこんでいて、息をいっぱいに吸い込むと、むせびそうになるほどだ。』

やはり冒頭からゆらゆらと陽炎がたちのぼる夏の風景が目の前に現れる。
主人公の達夫は二十歳。山羊や兎、モルモットなどの動物たちをバスにを乗せ、幼稚園を巡回する「移動動物園」で三十五歳の園長、二十三歳の道子と共に働く。
マイクロバスと動物たちの小屋が置ける「恋ケ窪」の空地で、照りつける太陽の下、もがきながら生きる達夫の姿を淡々と丹念に描いている。
1ページ目の山羊のポウリィの啼き声と、最後に達夫がポウリィに話しかける台詞は繋がり、ループしていて、物語が一瞬のようで永遠に続きそうな夏の趣きを感じさせる。

他に収録されているのは『空の青み』1982年の作品。2回目の芥川賞候補になった作品。
主人公の「綱男」は佐藤の長男の名と同じ。
『水晶の腕』は1983年、3回目の芥川賞候補作。(著者は通算5回、芥川賞候補になっている)
自身が1979年に梱包会社に入った際の労働がリアリティを持って描かれている。
身体的精神的にも微かな疲労を覚えながら、汗をかくほど体を動かして働き、けれど心の中では自身と葛藤している描写の部分とても好きだ。特にステンプルで釘の早打ちをする場面。
私自身似たような仕事を経験していて、一人淡々と体を動かし、汗を流し、傍から見たら一心に仕事をこなしてるようであっても、心の中では全然違うことを黙々と考えていたあの頃を懐かしく思い出させた。
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by bookswandervogel | 2011-05-22 18:46
2011年 05月 19日

「おかしな本棚」

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電子書籍が今よりもっと世の中に浸透しても、本は無くならない、と断言できる。
私自身がアナログ寄りだから、という訳ではなく、やはり「本好き」は実際手に取る「本の手触り」と「本の存在感」が好きなのだ。

さてこの本は、人に招かれてその家の本棚を偶然目撃するような(さりげなく、でもじっくり見てしまう)、いわゆるフツーの本屋ではなく、店主のカラーがしっかり出ている編集された本棚を端から端まで見て、その謎を解くような、そんな本である。

クラフト・エヴィング商會は作家であり、装丁も手がけるデザインユニット。装丁デザインをする人たちなのに、出てくるのは本の背表紙ばかり。
けれどその本棚の『編集』のしかたに魅力があり、細いけど味のある背表紙を眺めてはわくわくする。

本屋に行って本棚を眺めるとき楽しいのは、この出会いの妙なのだ。
これは電子書籍には無いし、ネット書店でも出会えない。
欲しかった本を探し、その隣にある本もついでに眺めていく。
またはジャンルごとではなく、コンセプトを持って編集された棚を見ると、同じ本でもまったく別の本のような魅力が新たに見えてくる。

『いつでもそこに「読みたい」が並んでいるのが本棚で、その愉しさは、読まない限りどこまでも終わらない』
この部分を読んで、なんだか毎日の本屋の仕事に、ぴゅーっと素敵な風が吹いてくるかのようでした。
いつもとちょっと趣向の違う装丁だからか、従来のクラフト・エヴィング商會ファンだけでなく、幅広い層の人に手に取られてる気がします。
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by BOOKSWANDERVOGEL | 2011-05-19 23:58
2011年 05月 12日

「人質の朗読会」

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タイトルから「どんな話だろう?」と興味を持った。
しかしタイトル通りなのである。

プロローグの場面で、彼らがある事件に巻き込まれたことを知る。
しかも始まってわずか2ページ目で、犯人が仕掛けたダイナマイトの爆発により8人全員が死亡した事実が知らされる。 衝撃。

この物語は拘束されていた百日以上の間に、人質たちが自ら書いた話を朗読していた声が、現地の特殊部隊によって小屋にしかけられていた盗聴器に残されていたものだ。

けれども残されたものは遺書ではなかった。
長い人質生活の中、今自分たちに必要なのはじっと考えること。いつになったら解放されるのかという未来ではなく、犯人でさえも邪魔はできない・奪うことができない、自分の中にしまわれている過去、未来がどうあろうと決して損なわれない過去を、彼らは静かに語ったのだ。

誰かの役にどれだけたっただとか、自分はこんなすごいことをしただとか、そんな輝かしいものではなく、誰のものでもない時間を、それぞれがささやかに生きたという、ほんとうに何気ない日常のひとコマ。
どちらかというとぼんやりした、夢のような話を読むにつれ、「私は そして周りに居るたくさんの人は たったいま、なんとかけがえのない一度きりの人生を送っていることよ!」と胸の奥から熱いものがふつふつと湧いてくる。死と隣合わせの、不思議な明るい希望。

『こちらあみ子』の表紙とあれれ?とお気づきかも知れないが、密かで清閑な雰囲気のある彫刻は土屋仁応さん。5/25〜横浜高島屋でグループ展をやるそうです。
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by BOOKSWANDERVOGEL | 2011-05-12 23:54
2011年 05月 07日

「こちらあみ子」

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太宰治賞を受賞した『あたらしい娘』を改題し『こちらあみ子』となったので、このあたらしい娘があみ子なのだろう。
あみ子はあたらしいのだろうか?突出して個性的なのか、あるいは病気なのか?読み進めるうちこの物語をどう捉えていいか悩んだ。

文章の書かれ方も狙っているのか、シリアスな感じはなく むしろ使われる広島弁のせいでのんびり、朴訥とした印象を受ける。純粋な愛らしい娘の話かと思いきや「あみ子は普通の子ではない」とわかった時点で、あみ子の周りの人間同様、読んでるこちら側もあみ子に対して少しずつ疲弊してゆく。
あみ子は何があろうと起ころうと変化せず、所々が角度によってキラっと光る磨かれていない原石のようだ。その光を知りつつ、彼女にかかわる人間は疲れ、関係は崩壊し、世界はあみ子以外にだんだんと歳をとり変化をしてゆく。

健康な心を持っていた頃のあみ子の父が、母が、兄があみ子にした行動やかけた言葉は、とてつもなく愛に満ちた優しいもので、それが過去の話だとわかると、それらはかけがえのない一瞬だったことを知り、その分深く悲しく響いてくる。

後妻である母が初めて兄妹に紹介された時、あみ子は母のあごにある大きなほくろにこだわってしまう。その後、兄が自分の頭にあるハゲを見せながら、あみ子にこう説く。
「あみ子から見て、おれはなんじゃ?あにきか、それともはげか」
「あにきじゃ」
「ほうじゃ。じゃあみ子から見てお父さんはなんじゃ。父親か、それともメガネか」
「ちちおやじゃ」
「ほうじゃ」
「それじゃあさっき会ったあのひとはなんじゃ。母親か、それともほくろか」
「おかーさんじゃ」
「ほうじゃ。そういうことじゃ」

まわりとは同じように生きられないあみ子は弱い者なのだろうか?
うまく説明できないのだけれど、周りでこれに似たようなことってないだろうか?
無意識のうちに、見ないようにしてしまっている、痛く美しい、もの。

それにしてもこの著者・今村夏子さんこそ『あたらしい娘』ではなかろうか?
併録された『ピクニック』も今まで読んだ何にも似ていないあたらしさ。
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by bookswandervogel | 2011-05-07 23:30