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2011年 07月 27日

「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」

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たとえば音楽では、誰から誰へ向けてのメッセージだとか、大きく壮大なテーマだとか、何か教訓めいたものとかが歌詞に乗っている歌が苦手だ。
逆にすごくちっぽけなことをかっこ悪く歌ってたり、なんのことだかさっぱり?みたいな歌詞のほうが、ある時はっと思い出し、その時々にフィットしていつでも聴けるような気がする。

このエッセイのいちばん最後の章で、ムラカミさんは個人的にずいぶんつらいこと、胸が息苦しく、意識がばらばらになったままひとつにまとまらないような状態の時のベネチアへの一人旅で小泉今日子を繰り返し聴いた、と語っている。
それはたまたま村上龍さんが差し入れしてくれたテープだったのだけど
『何度も聴いたはずなのに、歌詞は思い出せない。ー言葉の内容は空白に近い。
でも繋がりを持たないことによってそれらの歌は、懐かしい暗号の切れ切れな響きとして、異国の地で僕を保護してくれた。』

私が『村上ラヂオ』を初めて読んだのは、仕事で2回目に指を飛ばして入院した時だった。昨年夏にはまた入院でたまたま再読。そして今回『村上ラジオ2』を読んだのは、ちょうど思いがけない壁がどーんと目の前に突き出た時でした。ほんとにたまたまですけれど。

振り返るとくだらなくて、さりげなくて、これと言った主張はなくて教訓めいたものも何もない。けれど切れ切れな響きとしてこの本は、無意識に私を保護してくれた。

『人はときとして、抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、自分自身がその重みでばらばらになってしまうのを防ごうとする。ー小説にもまた同じような機能がそなわっている。心の痛みや悲しみは個人的な、孤立したものではあるけれど、同時にまたもっと深いところで誰かと担いあえるものでもあり、共通の広い風景の中にそっと組み込んでいけるものだということを、それは教えてくれる。』

ああ私には本を読む、という趣味があって良かった。ちょっと助かった。
読んだ後の気分はというと、機知に富んでいてチャーミングな年上の人と、おいしくお酒を飲んで「楽しかったなぁ」とほろ酔いで鼻歌も出ちゃう帰り道、みたいな感じです。
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# by bookswandervogel | 2011-07-27 00:26
2011年 07月 13日

「もうひとつの朝」

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『海炭市叙景』の復刊で20年ぶりに息を吹き返した佐藤泰志。
『海炭市』の後も次々復刊される中、ファンのさらなる熱い要望に応えて出版されたこの本は、彼の初期作品を集めたもの。

特に18歳高校生の時に書いた、鮮烈なデビュー作『市街戦のジャズメン』をどうしても読んでみたかったのでとてもうれしい。
佐藤泰志作品独特の不良性、反抗、孤独、苛酷な労働のリアリティ、汗がにおう生命力、青春という名の輝きと愚かさがむきだしに描かれている。
『兎』は文章の書き方に癖があるが、他の作品にはほとんど見られないので彼が試行錯誤して実験的に試みたことが窺える。そして彼が最も得意とするスタイルの、男二人女一人の三人で綴る物語の短篇が3作。この描き方は後の『きみの鳥はうたえる』や『そこのみにて光輝く』につながっているのだろう。
疾走感がたまらない『深い夜から』はとにかくかっこいい!文章のリズムが小気味好く、何かすごくかっこいい音楽に出会った時のような、せり上がる高揚感を感じながら読んだ。

昨年末から続いている私の佐藤作品に対する熱はまだまだ冷めようがない。
復刊された文庫のほか、クレイン刊の『佐藤泰志作品集』、今回の初期作品集『もうひとつの朝』にも収録されてない作品を、どうか本にしてください。熱望。
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# by bookswandervogel | 2011-07-13 00:31
2011年 07月 06日

「なずな」

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40代・独身の菱山は子供を持つような機会からはいちばん縁遠いような人物。結婚という未来も特に無さそうだ。
そんな菱山はやむをえない事情から、弟の子供・なずなを預かることになる。

まだ生まれて間もないなずなは、ちょうど首がすわるか すわらないかの危うい時期。
彼は突然託された赤ん坊のオムツをいそいそと替え、温度と粉の量をきっちり計って授乳し、そうっとお風呂に入れて、ベビーカーで街にくり出す。
そこによくある「育児小説」の甘やかさは無く、だんだんと父性に目覚める・・・という成長もない。

あるのは、ある日突然赤ん坊が自分の生活の中心に現れる「未知との遭遇」と、それに伴う自分と周りとの関係の変化だ。
自分の周りの人達が、赤ん坊を育てる彼を励まし、一緒に育てようと手を差し伸べてくれる。自分の両親、さらには弟の妻の両親とまで自分から連絡を密に取るようにする。伊都川市という土地の日報を書く記者の彼は、在宅で仕事をこなすが、いざ散歩になずなを連れて出ると、誰彼となく声をかけられる。

40代で独身で一人暮らしで決まったパートナーも居ない男の生活であれば、こんなに人と関わることはきっと無いだろう。
自分が世界の中心だったのが、中心は彼女に取って代わっているのだ。「俺が」「私が」という話にはならない。飲んで寝てげっぷして便を出して泣くだけの、なずなという命のかたまりみたいな存在を自分が守っているようでいて、実は彼女に守られていることに彼はゆっくり気付いてゆく。

彼の住む伊都川の街も、彼の周りの人々も400ページの中でゆっくりと変化する様が描かれる。
彼の置かれている環境、なずなの両親のこと、周りの人の輪郭がだんだんに解き明かされるので、長さは全く苦にならずに読めた。
子供が居る人にも、全く関わりの無い人にも、どちらにもおすすめ。
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# by bookswandervogel | 2011-07-06 23:56
2011年 06月 28日

「身も心も」

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光文社 テーマ競作『死様』シリーズでもう一点。

本の1ページ目から素敵なはじまりを予感させるボーイ・ミーツ・ガール。
けれどこの物語のボーイは6年前に妻に先立たれた礼二郎、75歳。

家に籠りがちな礼二郎は息子夫婦に薦められ、老人クラブの絵画同好会に入会した。
そこで身のこなしが軽やかで魅力的な65歳の幸子と出会う。
ひょんなことから絵を交換することになった真冬の公園のベンチで、互いの身の上を初めて話し、礼二郎はそれまで言葉にすることの出来なかった妻の臨終の時の自分の気持ちや、その後の喪失感までを思いがけず吐露してしまう。熱心に耳を傾けてくれた幸子に礼二郎は惹かれていくが、独り身の幸子は謎の多い女性だった..。

字も大きく、長さも中編、といったところだけれど、礼二郎と妻の関係、高齢期の男の悲哀、幸子の波乱に満ちた過去、高齢者の恋・・・と読ませるテーマが盛り込まれているにもかかわらず、書き過ぎていない上品さがあり、上手いなぁと唸らせる。

前作の『二人静』も『君がつらいのは、まだあきらめてないから』も、人の人生がゆっくり終末に向かっていて、一般的に言ってあまり明るくはない方向に進んでいるにもかかわらず、何か小さな光が同時に芽生えてくる、というとても表現の難しい しかし希望のある物語を、続けて盛田さんは描いている。

畳み掛けるようなラストは圧巻。それまでの文章とリズムが全然違って、読む手にぐっと力が入る。
命の最後のスパークを見たかのようだった。
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# by bookswandervogel | 2011-06-28 23:58
2011年 06月 18日

「翼」

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光文社が企画した、作家6人によるテーマ競作『死様』。
その中で光っているのはやはり白石氏。
なにがすごいって、テーマが死様だろうがなんだろうが、これはこの人にしか書けない!という仕事をきっちりやり遂げている。
本自体は中編といえるくらいの長さだけれど、これぞ白石一文の小説!というストーリーがぎゅうっと詰まっていて、読み終えて拍手してしまったほど。

光半導体営業部課長代理を勤める里江子という女性が主人公。(白石氏の小説の主人公は必ず才色兼備だ。でもぜんぜん嫌じゃない。)彼女は十年前に親友の恋人である岳志から、ほとんど初対面にもかかわらず結婚を申し込まれた。唐突で無謀な話に応えることなく、里江子自身の転勤や、親友と岳志の結婚などで疎遠になっていたが,ある時東京に戻って来た里江子は偶然に岳志と再会する。驚くことに、結婚し子供までもうけた岳志の気持ちは全く変わっておらず、里江子と離れた十年の間にさらに確信を深めたと言う。

岳志のエキセントリックな発言や行動に、里江子と同様にかなり戸惑うが、二人の周辺で明らかになる「人と人との、どうしようもない不思議な繋がり」を見ていくうち、感情のままに動く岳志を「どうかしてる」とは思わず、理解しだんだん許容している自分に気付く。

「私には、直感だの必然などという曖昧な表現で自らの行動を肯定できる岳志や朝子のような人間が理解できない。そもそも感情と直感は同じものなのか。もし違うのだとしたら、どこがどう違うのか。しかし、そうは言いながらも、心のどこかでそういった彼らの心性を認め、受け入れている自分がいるのも確かだった。」
孤独に慣れているはずの里江子と同じ目線、冷静かつ常識的に考えてきたつもりではあったけれど、すべて肯定はしないまでも、何か理論的ではない豊かなものに触れたような気持ちになった。

白石一文の小説、すべての物語が男女の愛を謳い上げている。
私たちはそうした物語に生涯心を奪われつづける。
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# by bookswandervogel | 2011-06-18 17:22
2011年 06月 11日

「マイ・バック・ページ」

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高校生の頃、60〜70年代の洋楽を聴きまくった。
中でもビートルズとボブ・ディランの影響は絶大で、そこから派生した音楽を今も聴き続けているから、やはり彼らが居なかったら今の自分は居なかったなぁ...と言っていいほど。

あの頃の音楽シーンには、時代を象徴するようなスーパー・スターがたくさん居た。
『マイ・バック・ページ』の川本三郎氏も当時、海を超えたアメリカのカウンターカルチャーに憧れた若者のひとりだった。
私の世代はさらにその後。平和でぬるい学生生活を過ごし、「個性を磨く」ことを善しとする教育の中で、あの頃あの時代の『セックス・ドラッグ・ロックンロール』に単純に憧れた。音楽をひたすら聴くことが「個性を確立」できる手段のように感じていたのかも知れない。私がバイト代をがんばって貯めて、渋谷公会堂で初めて見たボブ・ディランは、もうすでに50歳のおじさんだったけれども。

1988年に出版したこの本が映画化されるにあたり復刊となった。映画や文芸の評論で知られる川本三郎氏が、こんな強烈な過去を持った方だとは全く知らなかった。
事件の記述も含めて、69年〜72年までの日本の、あの時代の空気をありありと感じ取ることができる。このような文章はやはり渦中にいた人だから書けたのだろう。
自己正当化しているだけではないのか・・?と自身でもあとがきで書いているけれど、愚行と失敗と、その後にずっしりと彼の内に残るしこりのような罪悪感が、朴訥とした拙い文章だけにより伝わってきて、じわじわと胸を熱くさせた。

『たしかに私たちにとってもあの時代は「いい時代なんかじゃなかった。」死があり、敗北があった。しかしあの時代はかけがえのない“われらの時代“だった。』
そんな風に言える著者に嫉妬し、また私は憧れる。

ディランの『マイ・バック・ページ』は「昔は良かった」と歌っているのではない。
「あの頃の私はいまより老けていて、いまの私はあの頃よりずっと若い。」と歌っている。
あの事件で亡くなった自衛官とその家族を思うと全く浮かばれないけれども、事件に関わった実行犯のKや川本氏は今の歳にして何を思うのだろう?と想像せずにはいられない。
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# by bookswandervogel | 2011-06-11 02:12
2011年 06月 05日

「東京難民」

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福澤さんはホラーや怪奇小説で名手として知られている方ですが、私はずっと「そうじゃないほう」の小説だけ読んでいます。怖いからです。

でも今回は「そうじゃないほう」でもじゅうぶん怖い。リアルに怖い。

三流私立大学の3年生の修。ある日突然、学費の未払いを理由に大学を除籍されてしまう。仕送りも、両親との連絡も途絶え「なにがどうなってるの?」と帰ってみたら、実家は夜逃げしていて蛻の殻。
やむなく自活を始める修だが、借りていたマンションは追い出され、バイトは上手く行かず、借金は膨れ上がって...。

確かにガッツも無く芯も無くだらしのない修の性格が、あらゆるトラブルをさらに悪い方へと導いている節はある。けれど今の日本では、親にしっかり守られてのほほんと育ったこんな若者がほとんどだろう。ここに出てくる修が特別ではない。
しかし順調に学校を卒業し、就職してお給料がちゃんと出て、自分で生活できるようになり..とひと昔前は当たりまえに進んだ平凡な『自立』への道も、現実世界では足場が揺らいでいる。
何の心配も無く、親に守られ、のほほんと生きて来た若者が、もしも一歩足を踏みはずしたその先には、巧みに掘られた転落への穴がそこかしこに無数にあいているのだ。

修が金策に奔走して次々と関わるアルバイト(ティッシュ配り・ポスティング・電話のオペレーターに始まり、治験のバイトやゲイバーのウェイター、ホスト、日雇い等々)の裏側を垣間みながら、家も定職もお金もない状況になった時にまず雨風をしのぐためにはどうするのか?という、普段想像もしない最悪ピンチな状況を、修を通して自分も疲労を覚えつつ、何とか乗り越えようと必死に考える。

いったいどこまで??と救われない修の堕ち加減は容赦ない。
絶体絶命!のピンチの場面は、やはりこの著者はホラー作家なのだ..と思い出さずにはおれないほど身の毛がよだつ恐ろしさ。

アングラを描きつつ、それを自慢にせず嫌みもなく、ダークかつシビアな世界に主人公は生きているのに暗さがない。そしてヘタな自己啓発書よりどしっと心に響くものが読んだ後に残る。
これまでにない550ページ越えの長編だけれど、この作家の圧倒的リーダビリティはいつものこと。ついついのめり込んで読んでしまう。今回も一気読みでした。
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# by bookswandervogel | 2011-06-05 22:03
2011年 05月 28日

「オリーブ・キタリッジの生活」

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ぜんぜん期待せず読んでみたけれど、たいへん味わい深かった。
というか自分が、こんな感じだろうなー と思っていたものとかなり違っていて、心地よく裏切られた。

クロズビーというある町。オリーブ・キタリッジという一人の人物を中心に話が展開する、というより、町で繰り広げられる様々な出来事から、一人のありふれた人物像を浮かび上がらせている。
数学教師のオリーブはいわゆる「いいひと」では無く、愛想がなく親切でもなく、どちらかというと偏屈な中高年のただのおばさんだ。
彼女は『ウォーリーを探せ!』のウォーリーのように町を横切っては、ある人の話に適当に首を突っ込んでは居なくなったり、ある人の人生ではターニング・ポイントを左右する重要な役割を果たす。

ありふれた田舎町の、地味な人々が穏やかに何の変化なく暮らしているように見えていても、若かった者は老いて、夫婦は別れ、子供は町から離れていく。出てくる人物はほとんどが中高年で、だれもが家族にまつわる何がしかの痛みを抱えている。

オリーブも、息子の結婚式に着たドレスの色が正しかったのかどうかと気に病み、やっと結婚した一人息子は嫁に言いくるめられて町を出て行き、優しかった夫・ヘンリーの本心を思いがけなく知ってしまってどぎまぎし、近所の摂食障害の娘を見ては胸を痛める。
気性が激しく頑固で、人を人と思わないようなオリーブの、もともとあったのだけれど、隠れていた一面や個人的な痛みの部分が、徐々に浮き彫りにされていく。

それぞれの書き出しは常になにげなく、こんなにも短い話がここまで味わい深くなるなんて!と読むたび驚かされてしまった。小説というものの奥深さをまたしても知りました。
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# by bookswandervogel | 2011-05-28 00:36
2011年 05月 22日

「移動動物園」

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暑いのががとても苦手である。今年の夏は日本中さらなる節電の予定なので,覚悟しなければならないと思うと、夏ごとワープしたい気分だ。

佐藤泰志の『そこのみにて光輝く』と同じく夏が描かれた『移動動物園』。
『そこのみにて』の8年前、28歳の時の作品であるからか、若さや勢いが多いぶんだけより熱い。読んでいて、暑苦しさと若さゆえの生き苦しさにむせかえるような作品だった。

『暑かった。足元からたちのぼってくる草や土の匂い、それに汗の匂い、夏の空気と一緒に達夫をぴったりと包みこんでいて、息をいっぱいに吸い込むと、むせびそうになるほどだ。』

やはり冒頭からゆらゆらと陽炎がたちのぼる夏の風景が目の前に現れる。
主人公の達夫は二十歳。山羊や兎、モルモットなどの動物たちをバスにを乗せ、幼稚園を巡回する「移動動物園」で三十五歳の園長、二十三歳の道子と共に働く。
マイクロバスと動物たちの小屋が置ける「恋ケ窪」の空地で、照りつける太陽の下、もがきながら生きる達夫の姿を淡々と丹念に描いている。
1ページ目の山羊のポウリィの啼き声と、最後に達夫がポウリィに話しかける台詞は繋がり、ループしていて、物語が一瞬のようで永遠に続きそうな夏の趣きを感じさせる。

他に収録されているのは『空の青み』1982年の作品。2回目の芥川賞候補になった作品。
主人公の「綱男」は佐藤の長男の名と同じ。
『水晶の腕』は1983年、3回目の芥川賞候補作。(著者は通算5回、芥川賞候補になっている)
自身が1979年に梱包会社に入った際の労働がリアリティを持って描かれている。
身体的精神的にも微かな疲労を覚えながら、汗をかくほど体を動かして働き、けれど心の中では自身と葛藤している描写の部分とても好きだ。特にステンプルで釘の早打ちをする場面。
私自身似たような仕事を経験していて、一人淡々と体を動かし、汗を流し、傍から見たら一心に仕事をこなしてるようであっても、心の中では全然違うことを黙々と考えていたあの頃を懐かしく思い出させた。
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# by bookswandervogel | 2011-05-22 18:46
2011年 05月 19日

「おかしな本棚」

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電子書籍が今よりもっと世の中に浸透しても、本は無くならない、と断言できる。
私自身がアナログ寄りだから、という訳ではなく、やはり「本好き」は実際手に取る「本の手触り」と「本の存在感」が好きなのだ。

さてこの本は、人に招かれてその家の本棚を偶然目撃するような(さりげなく、でもじっくり見てしまう)、いわゆるフツーの本屋ではなく、店主のカラーがしっかり出ている編集された本棚を端から端まで見て、その謎を解くような、そんな本である。

クラフト・エヴィング商會は作家であり、装丁も手がけるデザインユニット。装丁デザインをする人たちなのに、出てくるのは本の背表紙ばかり。
けれどその本棚の『編集』のしかたに魅力があり、細いけど味のある背表紙を眺めてはわくわくする。

本屋に行って本棚を眺めるとき楽しいのは、この出会いの妙なのだ。
これは電子書籍には無いし、ネット書店でも出会えない。
欲しかった本を探し、その隣にある本もついでに眺めていく。
またはジャンルごとではなく、コンセプトを持って編集された棚を見ると、同じ本でもまったく別の本のような魅力が新たに見えてくる。

『いつでもそこに「読みたい」が並んでいるのが本棚で、その愉しさは、読まない限りどこまでも終わらない』
この部分を読んで、なんだか毎日の本屋の仕事に、ぴゅーっと素敵な風が吹いてくるかのようでした。
いつもとちょっと趣向の違う装丁だからか、従来のクラフト・エヴィング商會ファンだけでなく、幅広い層の人に手に取られてる気がします。
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# by BOOKSWANDERVOGEL | 2011-05-19 23:58