2011年 06月 11日
高校生の頃、60〜70年代の洋楽を聴きまくった。 中でもビートルズとボブ・ディランの影響は絶大で、そこから派生した音楽を今も聴き続けているから、やはり彼らが居なかったら今の自分は居なかったなぁ...と言っていいほど。 あの頃の音楽シーンには、時代を象徴するようなスーパー・スターがたくさん居た。 『マイ・バック・ページ』の川本三郎氏も当時、海を超えたアメリカのカウンターカルチャーに憧れた若者のひとりだった。 私の世代はさらにその後。平和でぬるい学生生活を過ごし、「個性を磨く」ことを善しとする教育の中で、あの頃あの時代の『セックス・ドラッグ・ロックンロール』に単純に憧れた。音楽をひたすら聴くことが「個性を確立」できる手段のように感じていたのかも知れない。私がバイト代をがんばって貯めて、渋谷公会堂で初めて見たボブ・ディランは、もうすでに50歳のおじさんだったけれども。 1988年に出版したこの本が映画化されるにあたり復刊となった。映画や文芸の評論で知られる川本三郎氏が、こんな強烈な過去を持った方だとは全く知らなかった。 事件の記述も含めて、69年〜72年までの日本の、あの時代の空気をありありと感じ取ることができる。このような文章はやはり渦中にいた人だから書けたのだろう。 自己正当化しているだけではないのか・・?と自身でもあとがきで書いているけれど、愚行と失敗と、その後にずっしりと彼の内に残るしこりのような罪悪感が、朴訥とした拙い文章だけにより伝わってきて、じわじわと胸を熱くさせた。 『たしかに私たちにとってもあの時代は「いい時代なんかじゃなかった。」死があり、敗北があった。しかしあの時代はかけがえのない“われらの時代“だった。』 そんな風に言える著者に嫉妬し、また私は憧れる。 ディランの『マイ・バック・ページ』は「昔は良かった」と歌っているのではない。 「あの頃の私はいまより老けていて、いまの私はあの頃よりずっと若い。」と歌っている。 あの事件で亡くなった自衛官とその家族を思うと全く浮かばれないけれども、事件に関わった実行犯のKや川本氏は今の歳にして何を思うのだろう?と想像せずにはいられない。 #
by bookswandervogel
| 2011-06-11 02:12
2011年 06月 05日
福澤さんはホラーや怪奇小説で名手として知られている方ですが、私はずっと「そうじゃないほう」の小説だけ読んでいます。怖いからです。 でも今回は「そうじゃないほう」でもじゅうぶん怖い。リアルに怖い。 三流私立大学の3年生の修。ある日突然、学費の未払いを理由に大学を除籍されてしまう。仕送りも、両親との連絡も途絶え「なにがどうなってるの?」と帰ってみたら、実家は夜逃げしていて蛻の殻。 やむなく自活を始める修だが、借りていたマンションは追い出され、バイトは上手く行かず、借金は膨れ上がって...。 確かにガッツも無く芯も無くだらしのない修の性格が、あらゆるトラブルをさらに悪い方へと導いている節はある。けれど今の日本では、親にしっかり守られてのほほんと育ったこんな若者がほとんどだろう。ここに出てくる修が特別ではない。 しかし順調に学校を卒業し、就職してお給料がちゃんと出て、自分で生活できるようになり..とひと昔前は当たりまえに進んだ平凡な『自立』への道も、現実世界では足場が揺らいでいる。 何の心配も無く、親に守られ、のほほんと生きて来た若者が、もしも一歩足を踏みはずしたその先には、巧みに掘られた転落への穴がそこかしこに無数にあいているのだ。 修が金策に奔走して次々と関わるアルバイト(ティッシュ配り・ポスティング・電話のオペレーターに始まり、治験のバイトやゲイバーのウェイター、ホスト、日雇い等々)の裏側を垣間みながら、家も定職もお金もない状況になった時にまず雨風をしのぐためにはどうするのか?という、普段想像もしない最悪ピンチな状況を、修を通して自分も疲労を覚えつつ、何とか乗り越えようと必死に考える。 いったいどこまで??と救われない修の堕ち加減は容赦ない。 絶体絶命!のピンチの場面は、やはりこの著者はホラー作家なのだ..と思い出さずにはおれないほど身の毛がよだつ恐ろしさ。 アングラを描きつつ、それを自慢にせず嫌みもなく、ダークかつシビアな世界に主人公は生きているのに暗さがない。そしてヘタな自己啓発書よりどしっと心に響くものが読んだ後に残る。 これまでにない550ページ越えの長編だけれど、この作家の圧倒的リーダビリティはいつものこと。ついついのめり込んで読んでしまう。今回も一気読みでした。 #
by bookswandervogel
| 2011-06-05 22:03
2011年 05月 28日
ぜんぜん期待せず読んでみたけれど、たいへん味わい深かった。 というか自分が、こんな感じだろうなー と思っていたものとかなり違っていて、心地よく裏切られた。 クロズビーというある町。オリーブ・キタリッジという一人の人物を中心に話が展開する、というより、町で繰り広げられる様々な出来事から、一人のありふれた人物像を浮かび上がらせている。 数学教師のオリーブはいわゆる「いいひと」では無く、愛想がなく親切でもなく、どちらかというと偏屈な中高年のただのおばさんだ。 彼女は『ウォーリーを探せ!』のウォーリーのように町を横切っては、ある人の話に適当に首を突っ込んでは居なくなったり、ある人の人生ではターニング・ポイントを左右する重要な役割を果たす。 ありふれた田舎町の、地味な人々が穏やかに何の変化なく暮らしているように見えていても、若かった者は老いて、夫婦は別れ、子供は町から離れていく。出てくる人物はほとんどが中高年で、だれもが家族にまつわる何がしかの痛みを抱えている。 オリーブも、息子の結婚式に着たドレスの色が正しかったのかどうかと気に病み、やっと結婚した一人息子は嫁に言いくるめられて町を出て行き、優しかった夫・ヘンリーの本心を思いがけなく知ってしまってどぎまぎし、近所の摂食障害の娘を見ては胸を痛める。 気性が激しく頑固で、人を人と思わないようなオリーブの、もともとあったのだけれど、隠れていた一面や個人的な痛みの部分が、徐々に浮き彫りにされていく。 それぞれの書き出しは常になにげなく、こんなにも短い話がここまで味わい深くなるなんて!と読むたび驚かされてしまった。小説というものの奥深さをまたしても知りました。 #
by bookswandervogel
| 2011-05-28 00:36
2011年 05月 22日
暑いのががとても苦手である。今年の夏は日本中さらなる節電の予定なので,覚悟しなければならないと思うと、夏ごとワープしたい気分だ。 佐藤泰志の『そこのみにて光輝く』と同じく夏が描かれた『移動動物園』。 『そこのみにて』の8年前、28歳の時の作品であるからか、若さや勢いが多いぶんだけより熱い。読んでいて、暑苦しさと若さゆえの生き苦しさにむせかえるような作品だった。 『暑かった。足元からたちのぼってくる草や土の匂い、それに汗の匂い、夏の空気と一緒に達夫をぴったりと包みこんでいて、息をいっぱいに吸い込むと、むせびそうになるほどだ。』 やはり冒頭からゆらゆらと陽炎がたちのぼる夏の風景が目の前に現れる。 主人公の達夫は二十歳。山羊や兎、モルモットなどの動物たちをバスにを乗せ、幼稚園を巡回する「移動動物園」で三十五歳の園長、二十三歳の道子と共に働く。 マイクロバスと動物たちの小屋が置ける「恋ケ窪」の空地で、照りつける太陽の下、もがきながら生きる達夫の姿を淡々と丹念に描いている。 1ページ目の山羊のポウリィの啼き声と、最後に達夫がポウリィに話しかける台詞は繋がり、ループしていて、物語が一瞬のようで永遠に続きそうな夏の趣きを感じさせる。 他に収録されているのは『空の青み』1982年の作品。2回目の芥川賞候補になった作品。 主人公の「綱男」は佐藤の長男の名と同じ。 『水晶の腕』は1983年、3回目の芥川賞候補作。(著者は通算5回、芥川賞候補になっている) 自身が1979年に梱包会社に入った際の労働がリアリティを持って描かれている。 身体的精神的にも微かな疲労を覚えながら、汗をかくほど体を動かして働き、けれど心の中では自身と葛藤している描写の部分とても好きだ。特にステンプルで釘の早打ちをする場面。 私自身似たような仕事を経験していて、一人淡々と体を動かし、汗を流し、傍から見たら一心に仕事をこなしてるようであっても、心の中では全然違うことを黙々と考えていたあの頃を懐かしく思い出させた。 #
by bookswandervogel
| 2011-05-22 18:46
2011年 05月 19日
電子書籍が今よりもっと世の中に浸透しても、本は無くならない、と断言できる。 私自身がアナログ寄りだから、という訳ではなく、やはり「本好き」は実際手に取る「本の手触り」と「本の存在感」が好きなのだ。 さてこの本は、人に招かれてその家の本棚を偶然目撃するような(さりげなく、でもじっくり見てしまう)、いわゆるフツーの本屋ではなく、店主のカラーがしっかり出ている編集された本棚を端から端まで見て、その謎を解くような、そんな本である。 クラフト・エヴィング商會は作家であり、装丁も手がけるデザインユニット。装丁デザインをする人たちなのに、出てくるのは本の背表紙ばかり。 けれどその本棚の『編集』のしかたに魅力があり、細いけど味のある背表紙を眺めてはわくわくする。 本屋に行って本棚を眺めるとき楽しいのは、この出会いの妙なのだ。 これは電子書籍には無いし、ネット書店でも出会えない。 欲しかった本を探し、その隣にある本もついでに眺めていく。 またはジャンルごとではなく、コンセプトを持って編集された棚を見ると、同じ本でもまったく別の本のような魅力が新たに見えてくる。 『いつでもそこに「読みたい」が並んでいるのが本棚で、その愉しさは、読まない限りどこまでも終わらない』 この部分を読んで、なんだか毎日の本屋の仕事に、ぴゅーっと素敵な風が吹いてくるかのようでした。 いつもとちょっと趣向の違う装丁だからか、従来のクラフト・エヴィング商會ファンだけでなく、幅広い層の人に手に取られてる気がします。 #
by BOOKSWANDERVOGEL
| 2011-05-19 23:58
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