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BOOKS WANDERVOGEL

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2011年 05月 12日

「人質の朗読会」

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タイトルから「どんな話だろう?」と興味を持った。
しかしタイトル通りなのである。

プロローグの場面で、彼らがある事件に巻き込まれたことを知る。
しかも始まってわずか2ページ目で、犯人が仕掛けたダイナマイトの爆発により8人全員が死亡した事実が知らされる。 衝撃。

この物語は拘束されていた百日以上の間に、人質たちが自ら書いた話を朗読していた声が、現地の特殊部隊によって小屋にしかけられていた盗聴器に残されていたものだ。

けれども残されたものは遺書ではなかった。
長い人質生活の中、今自分たちに必要なのはじっと考えること。いつになったら解放されるのかという未来ではなく、犯人でさえも邪魔はできない・奪うことができない、自分の中にしまわれている過去、未来がどうあろうと決して損なわれない過去を、彼らは静かに語ったのだ。

誰かの役にどれだけたっただとか、自分はこんなすごいことをしただとか、そんな輝かしいものではなく、誰のものでもない時間を、それぞれがささやかに生きたという、ほんとうに何気ない日常のひとコマ。
どちらかというとぼんやりした、夢のような話を読むにつれ、「私は そして周りに居るたくさんの人は たったいま、なんとかけがえのない一度きりの人生を送っていることよ!」と胸の奥から熱いものがふつふつと湧いてくる。死と隣合わせの、不思議な明るい希望。

『こちらあみ子』の表紙とあれれ?とお気づきかも知れないが、密かで清閑な雰囲気のある彫刻は土屋仁応さん。5/25〜横浜高島屋でグループ展をやるそうです。

# by BOOKSWANDERVOGEL | 2011-05-12 23:54
2011年 05月 07日

「こちらあみ子」

「こちらあみ子」_b0145178_1651370.jpg
太宰治賞を受賞した『あたらしい娘』を改題し『こちらあみ子』となったので、このあたらしい娘があみ子なのだろう。
あみ子はあたらしいのだろうか?突出して個性的なのか、あるいは病気なのか?読み進めるうちこの物語をどう捉えていいか悩んだ。

文章の書かれ方も狙っているのか、シリアスな感じはなく むしろ使われる広島弁のせいでのんびり、朴訥とした印象を受ける。純粋な愛らしい娘の話かと思いきや「あみ子は普通の子ではない」とわかった時点で、あみ子の周りの人間同様、読んでるこちら側もあみ子に対して少しずつ疲弊してゆく。
あみ子は何があろうと起ころうと変化せず、所々が角度によってキラっと光る磨かれていない原石のようだ。その光を知りつつ、彼女にかかわる人間は疲れ、関係は崩壊し、世界はあみ子以外にだんだんと歳をとり変化をしてゆく。

健康な心を持っていた頃のあみ子の父が、母が、兄があみ子にした行動やかけた言葉は、とてつもなく愛に満ちた優しいもので、それが過去の話だとわかると、それらはかけがえのない一瞬だったことを知り、その分深く悲しく響いてくる。

後妻である母が初めて兄妹に紹介された時、あみ子は母のあごにある大きなほくろにこだわってしまう。その後、兄が自分の頭にあるハゲを見せながら、あみ子にこう説く。
「あみ子から見て、おれはなんじゃ?あにきか、それともはげか」
「あにきじゃ」
「ほうじゃ。じゃあみ子から見てお父さんはなんじゃ。父親か、それともメガネか」
「ちちおやじゃ」
「ほうじゃ」
「それじゃあさっき会ったあのひとはなんじゃ。母親か、それともほくろか」
「おかーさんじゃ」
「ほうじゃ。そういうことじゃ」

まわりとは同じように生きられないあみ子は弱い者なのだろうか?
うまく説明できないのだけれど、周りでこれに似たようなことってないだろうか?
無意識のうちに、見ないようにしてしまっている、痛く美しい、もの。

それにしてもこの著者・今村夏子さんこそ『あたらしい娘』ではなかろうか?
併録された『ピクニック』も今まで読んだ何にも似ていないあたらしさ。

# by bookswandervogel | 2011-05-07 23:30
2011年 04月 30日

「よなかの散歩」

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もう一方的に友達だと思ってる角田さんの新刊エッセイ集。
『オレンジページ』の連載だったためか、食べ物の、料理の話が盛りだくさん。

友達の中でも「ああ このひとはおいしい顔してるなぁ。」と思う顔って何人か居ますよね?
おいしい顔のひとはたいてい、おいしいものをいろいろ詳しく知ってるか、おいしいものを作ってくれるひと。
角田さんはやはり「おいしい顔」のひと。読み進めるうちに「ふんふん、やっぱりね。」と確信できます。
以前にBS−HIで放送された『愛と胃袋』がテーマの旅番組の中で、肉の塊を焼く場面で見せた角田さんの表情はまさに、獲物を前にして,いざ狩ろうとする人のそれでした。だって顔が真剣過ぎる。真剣過ぎて笑えた。

自分との共通項をたくさん見つけて、今回はさらに親しみを覚えました。
飲食店での単独の食事が非常に難関なこと(喫茶なら大丈夫)、茶色い食べものがなぜか好き(煮込み系ね)、町なかでたいへんよく声をかけられる(かなしいことにナンパではない)、自分の誕生日が大好き(たいていの大人は誕生日に関して落ち着いている)。
あとこの表紙は角田さんのご自宅らしいですが、表紙に使われるのに「おしゃれに見せよう、よく魅せよう」という衒いがまったく無い。
裏表紙の著者近影なんか、角田さんの後ろの物の置かれ方が実家じみてて・・最後にぷすっと気が抜けます。

# by bookswandervogel | 2011-04-30 23:44
2011年 04月 22日

出張古本屋


*4/29(金・祝)
『鎌倉路地フェスタ』に参加します。
 古本を常時置かせていただいてる『トムネコゴ』の2階で11時〜17時です。

鎌倉路地フェスタ http://roji-kamakura.net/
トムネコゴ http://thomnecogo.exblog.jp/ 


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# by BOOKSWANDERVOGEL | 2011-04-22 00:09 | お知らせ
2011年 04月 20日

「そこのみにて光輝く」

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海炭市叙景での映画の評判と、小説を読んだ者の熱い思いが伝わったのか、この4、5月でなんと4冊も佐藤泰志の本が文庫化されることになった。これはほんとうにすごいこと。それまで購入して読める本は『佐藤泰志全集』(クレイン刊)と『海炭市叙景』(小学館文庫)しかなかった。どうかこの勢いで全部読めるようにして欲しい。
彼が函館の高校生だった頃に書いた作品までも、ぜひ読んでみたい。

この作品は『海炭市』の3年前、1985年に発表されたもの。
『海炭市』は冬から初夏までの話だったけれど、これは夏の話。じりじりとした夏の盛りが冒頭の一文からよみがえる。

造船所を辞めたばかりの達夫は、パチンコ屋でひょんなことから知り合った拓児に、家に来ないかと誘われる。拓児の家は開発で市が建設した真新しい高層住宅ではなく、板壁がところどころ剥がれたバラックだった。そこで達夫は拓児の姉・千夏と出会う。
この三人を軸として彼らの生活に、離れようのない家族や周りの人間が関わっていく。
貧困、厳しい労働、若さという危なさ、この世の理不尽。
そういったものを共感とやさしさに満ちた視線で佐藤泰志は描く。

読み始めてすぐから風景ができあがる。文章の表現を頭の中で映像に変換することが容易いのも、この作家の特徴だ。
防波堤にほど近いアパート、拓児の家に吊るされたコンブ、タオルで鉢巻きをした拓児の顔、たわわにつける夏のアジサイ、頭の上の鈍く揺れる太陽。じりじり、じりじり暑苦しい夏の風景が、いつか見たことのある風景のように現れる。拓児の家のじっとりした畳の匂いや湿気まで感じ取れるようだ。

『佐藤泰志作品集』に入っていたこの表題作。この小説の素晴らしさに感銘を受けたが、その第二部『滴る陽のしずくにも』が文庫版に収録され、日の目を見ることになるなんて・・・。
たからものが一冊、また一冊と生まれてくる瞬間を目の当たりにできてうれしい。

# by bookswandervogel | 2011-04-20 23:47